高専、知ってます?
第1話 9人の教室から、44人の高専へ
まずは、お知らせ
本日、6/29(月)の夜、21時すぎから、 同じく高専卒のももとさんと、 ゆるっとLIVEをやります。 テーマはずばり「高専について」。 高専卒が二人そろうと、 世間に通じない話だけで 平気で何時間も喋れてしまうんですが、 その様子を生で垂れ流す回です。 作業のおともに、よかったらどうぞ。
ゆるっと高専トーク
で、せっかくLIVEで高専の話をするなら、 文字のほうでもちゃんと書き残しておこうと思い立ち、 今日から不定期連載を始めます。 記念すべき第1話。 ——と、その前に、ひとつだけお断りを。 この連載は、 私の高専時代の実話をもとにしています。 ただし、事実7割・フィクション3割。 読み物として面白くするために、 台詞を盛ったり、 何人かの友人を一人にまとめたり、 間の悪い出来事を わざと同じ日に起こしたりします。 要するに、脚色です。 ただし、脚色するのは「私のエピソード」だけ。 高専という学校の仕組み——制度や年数、 独特のルール——については、 一切ウソをつきません。 そこを盛ったら、 ただのデタラメになってしまうので。 笑えるところは私の身に起きたこと、 説明しているところは全部ほんと。 そういうつもりで読んでもらえると、 ちょうどいいです。 では、始めます。
高専って何?
高専卒です、と自己紹介すると、 だいたい二通りの反応が返ってきます。 ひとつは 「あー、ロボコンの!」。 もうひとつは、 無言の、ちょっと困った顔。 後者は要するに「高専って何?」を、 聞いていいものか測っている顔です。 いや、聞いてください。 ちゃんと説明しますから!! 高専——正式名称、高等専門学校。 中学を出た15歳が、 高校と大学をくっつけて、 圧縮したような場所に 5年間放り込まれる、という、 わりと珍しい学校です。 普通の高校が3年なのに対して、 こっちは5年。 卒業すると「準学士」という、 聞き慣れない称号がもらえます。 ……学位じゃなくて称号ってなんやねん。 どれくらいレアな学校かというと、 全国に58校しかありません。 内訳は国立が51校、 公立が3校、私立が4校。 だいたい各都道府県にひとつ、あるかないか。 ※令和7年度データをもとに記載 全国の高校の数が数千校あることを思えば、 いかにニッチな進路かがわかると思います 世間の認知度でいうと、 たぶん「専門学校」と混同されている率が 9割(さすがに盛りすぎか)。 違います。 専門学校でもないし、 ましてや「高校の専門コース」でもない。 完全に独立した、別の生き物です。 で、なんでそんなところに 当時15歳の私が進んだのか。 今日はその話を。
きっかけは、兄の不合格でした
我が家には、一つ上の兄がいます。 勉強が、まあ、苦手な兄でした。 本人の名誉のために言っておくと、 悪い人間ではない。 ただ、机に向かうという行為と 相性が壊滅的に悪かった。 その兄が、高校受験に失敗しまして 第一志望に届かず、 私立高校へ進学することになりました。 私立。 響きだけで、なんとなく 家計の話が聞こえてくる単語です。 しかも兄には家庭教師までついていた。 つまり 「お金をかけたのに、私立」という、 親からすると 地味に効くコンビネーションが、 決まっていたわけです。 それを横で見ていた中学生の私は、 子どもなりに計算しました。 うちは、そこまで 学費にお金をかけられる家じゃない ……かもしれない。 自分はもともと理系志望。 だったら、 普通に高校へ行って、 大学へ行って、 なんなら大学院まで——という、 いちばんお金と時間のかかるルートを 6年も7年も歩むより、 5年で卒業して さっさと就職できる道のほうが、 賢いんじゃないか。 そこで浮かび上がってきたのが、 高専でした。 我ながら、なかなか現実的な15歳です。
……と思っていたのですが
ここで、今だから言える話を白状します。 あの頃の私の家計シミュレーション、 けっこうガバガバでした。 というのも、 世の中には奨学金という制度があります。 そして当時すでに、公立高校の授業料は、 世帯の収入が一定の基準より下なら 国が支援してくれる、 いわゆる「実質無償化」が始まっていた。 つまり普通に公立高校へ行っても、 授業料そのものは かなりの部分まかなわれていたわけです。 つまりですよ。 冷静に計算すると、うちの家庭、 別に普通の高校へ行っても、 そこまで詰んでいなかった可能性が、 わりとある。 15歳の私が握りしめていた 「高専 = 家計を救う最適解」 という大義名分は、 大人になって制度をちゃんと調べた今、 けっこう揺らいでいます。 あの覚悟、なんだったんだ。 とはいえ。 当時の私にとって高専は、 まぎれもなく第一志望でした。 理由が多少アップデートされても、 行きたかったのは本当。 これは事実です。
校長先生が、野球部の顧問
さて、第一志望なら推薦で行きたい。 そう考えるのが人情です。 ましてや、盛大な勘違いにより、 大学編入など考えてもいなかった私は、 ここで、推薦を勝ち取れれば、 一生、受験勉強をしなくて済む。 なんて考えていました。 私は当時、野球部に所属していました。 そして、うちの野球部の顧問は——なんと、校長先生でした。 ここで「校長が部活の顧問?」 と引っかかった人は、 たぶん、それなりの規模の学校で育った人です。 私の中学は、それができてしまう学校だった。 なにせ全校で30人弱。 先生の数も当然少ないので、 一人が何役も掛け持ちするのが当たり前。 校長が朝礼で喋った数時間後に、 グラウンドでノックを打っている。 そういう距離感の世界です。 で、その校長兼顧問です。 推薦の可否をめちゃくちゃ握っている人が、 毎日ノックを打っている。 これは追い風だ、と思いますよね。 私も思いました。 しかし、校長は、私にこう言い放ちました。 「お前は推薦で受かったら、勉強しなくなるからダメだ」 ………。 内申点は、足りていたんです。 数字の上では、推薦の条件をクリアしていた。 それでもなお、 「お前という人間は、ゴールが見えた瞬間にサボる」という、 教育者としての鋭すぎる人物評を理由に、 私は一般受験へと送り出されました。 否定したい。 否定したいのに、できない。 あまりにも、当たっている気がする。 おかげで私は、 推薦組が遊んでいる時期にも 机に向かうことになり、 結果として志望校に合格しました。 今思えば、あれは校長なりの 「鍛え」だったのかもしれません。 ……いや、たぶん、ただ単に私の性根を見抜いていただけだな。
そして、入学初日
無事に合格し、迎えた入学式。 ここで私は、小規模育ちという属性を、 全身で思い知ることになります。 もう一度言いますが、 私の中学は全校でおよそ30人弱。 学年で1クラス、そのクラスがたった9人。 席替えをしても、3×3。 野球で言えば、 守備位置にちょうど収まる人数です。 みんな名前も性格も、 得意な給食の残し方まで知っている。 そういう、家族みたいな規模で15年を生きてきた。 それが、高専のクラスに 足を踏み入れた瞬間。 44人。 部屋に、人が、44人。 名前順で割り振られた私の席は、 ちょうど真ん中の、いちばん後ろ。 振り返ると、 すぐ背後に小さな黒板があって、 座ったまま手が届く。 前後の席の間隔は、 人がぎりぎり横向きで通れるかどうか。 9人の世界からやってきた私には、 もはや満員電車状態でした。 しかし、 本当の衝撃は、人口密度ではありませんでした。 順番に自己紹介が始まり、 和やかに進んでいく中で、何人かが、 こう言うんです。 「えー、留年してもう一回1年やってます」 ……ん? 「自分も留年で、2回目です」 ……ん?? 数えてみると、 入学したばかりのはずのこのクラスに、 すでに 1年生経験者 が、4人。 入学式当日、 まだ授業も受けていない私の頭に、 生まれて初めて、 その言葉がよぎりました。 ——この学校、大丈夫かな。 大丈夫じゃなかった話は、また次回。
高専について
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高専、名前は聞いた事あったけど知らなかったぁ。しかも5年とは!!興味津々॑⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝⋆*
あいすさん、はじめまして!
ずいぶん昔の話ですが、私も高専卒です。
記事をながら、当時の記憶がいろいろと呼び起こされ、懐かしくなりました。